欧州の大国ドイツを知る
変貌するメルセデスの不変の精神
文・谷克二 Katsuji
Tani
写真・渡辺 誠 Makoto Watanabe
|
 |
―1― |
路樹がとびさり、石造りの建物が通りの両側を流れていく。
「いやはや、なんともとばすもんだ」せわしなくハンドルを操りながら、思わず声をあげた。フロントガラスの向こうに、メルセデスSLKの疾走があった。SLKを駆っているのは、シュトゥットガルト市観光局のグラウ局長だった。クリ色の髪が風に乱れていた。渡辺カメラマンが横にツクネンと座っている。ひっつめにうなじで纏めた長髪が、ぶちかましてくる大気で、風車のようにクルクルと旋回していた。 SLKは、今年一月から日本にも登場した新型車である。
|
マリンブルーの車体が晩秋の光をうけ、閃光のようにきらめいている。ツーシーターの小型スポーツカーだから、ダッシュ力がある。自在に加速、減速をかけて軽々と運動し、先行車を一台、また一台と追いぬいていく。私の運転するメルセデスE230ワゴンタイプでは、そうはいかない。ワゴンでは最高の性能といわれ、排気量はSLKと同じ2249ccだが、いかんせんスーパーチャージャーが付いてないので、馬力がない。運動性能もおちる。百万都市シュトゥットガルトは、朝のラッシュアワーをとうに過ぎているが、道にはまだ車があふれているので、私は大汗かいてSLKを追う破目に陥っている。
|
 |
―2― |
LKはシュトゥットガルト市の郊外をめざしていた。方位でいえば東である。「ウールバッハというところに、いい場所がありますよ。ブドウ畑の丘がつづいていて、ネッカー河が山裾を洗ってます」SLKの写真を撮りたいという渡辺カメラマンの希望にグラウさんは、即座に案内を申しでた。四十二歳の男盛りで、仕事をこなす手順にメリハリがあり、決断がはやく、エネルギッシュでソツがない。今回我々のメルセデス・ベンツ社訪問を取り仕切ってくれたのも、新型車のSLKを強引に借りだしてきたのも、ひとえにグラウさんの腕力である。いわゆる仕事ができる男で、くわえて顔立ちがゲルマン的端正さをもちながら「ひょっとして、ラテンの血が混じってるのでは‥‥」と思わせられるほど甘いから、オフィスでもさぞかし女性陣のせつない目差しをうけかねないだろう、と冗談まじりに訊ねると、「私は妻を愛しています」グラウさんは生真面目な顔になった。
|
二番目のお子さんが生まれたばかりだという。一番目のお嬢さんは十一歳である。「それだけに、待ち望んでいた子供でした。グラウさんは溶けてしまいそうな笑顔になった。観光局長という役職だけに、外国旅行で家を空けることも多い。「だから、週末はできるだけ家族水入らずで過ごすように、心がけています」家族の絆を大切にするドイツのよき伝統は、ちかごろまた急ぎ足でドイツ人の心情にもどってきたように感じる。一族郎党が寄りつどう「家族の再会<ファミーリエン・トゥレツフェン>」という言葉を、よく耳にするようになった。個人主義の蔓延でいちじあやうくなるかに見えた家族の紐帯も、古きよき伝統へと回帰しはじめた。時代の風はその風向きをかえながら、つねにうごいていく。
|
 |
―3― |
たちはウールバッハの丘陵にいる。黄金色に照り映えていたブドウ畑に、淡いにび色がさしていた。空気が肌に冷ややかだった。「すこし、曇ってきましたね。撮影は大丈夫かな?」グラウさんが空を見上げながら心配そうにいった。メルセデスSLKはすこし離れた場所にとめてある。渡辺カメラマンはSLKの周囲を歩きながら、車を見たり、眼をあげて背景となる景色と見比べたりしながら、準備に余念がない。「光がなくなったけど、いいんですか?」カメラマンに声をかけると、「いや、このくらいがちょうどいい。あんまりカンカン照りだと、ボディが鏡のようになって、撮りにくい」と答えた。物言いはぶっきらぼうだが、顔は笑っている。「グラウさんは実にいい場所をえらんでくれたなァ」ひとりごとのようにつぶやきながら、しきりにうなずいている。なるほど、そうかもしれない。南面に向かってなだらかな丘が視野のとどくかぎりひろがっている。傾斜を利用したブドウ畑が黄金の実りを約束していた。ネッカー河の流れにそって谷あいに、シュトゥットガルト郊外の町が軒をよせあい、向かいの尾根には宮殿<シュロス>まである。ヨーロッパをつよく印象づける風景ではある。
|
「あのネ」カメラマンの声がとんできた。顔をあげると、腰に手をあてて私を見ていた。「ワゴンを見えないところまで、ひっこめてくれない? SLKのボディに映っちゃうから」言い終わるとすぐに、斜面をのぼりだした。上手のブドウ畑に、カメラを据えた三脚が立っている。その位置から、撮影をはじめるつもりなのだろう。私はグラウさんのいる場所までもどって、やりとりを説明した。「車をひっこめます。ついでに、私はウールバッハの村を見物してきますが、局長はここにのこってカメラマンを手伝ってくれませんか」渡辺カメラマンは、走行中のSLKも撮りたい。ならば、ハンドルを握るのはやはりグラウさんでなければならない。美形だから、モデルとして「もってこい」だろう。「いいですよ」グラウさんは気さくにうなずいた。
|
 |
―4― |
ールバッハの村はワイン畑に登ってくる途中走りぬけた村で、丘の中腹にある。車から見た居酒屋が、脳裏にとどまっていた。一瞥して、今年できたての新酒<フェーダーバイセ>を飲ませてくれる気配が感じられた。『もしそうなら、ヴュルテンブルグ州のワインを一、二杯楽しみたい。どうせ、撮影はたっぷり二時間かかる』勝手にそう決めこんで、村の広場にE230を乗り入れた。中央に泉があり、石組みに搾油機に似たワイン搾り機が飾ってあった。観光バスが二台とまっていた。年金生活者らしいお年寄りたちが降り立ち、二人三人と分かれて語らいつつ、気ままにワイン畑や宮殿の方角に歩いていく。普段着姿で、ツアー客独特の興奮もかまびすしさもなく、実にのんびりしている。シュトゥットガルトからきた「郊外散策ツアー」とでもいうところだろう。
|
居酒屋に入って、窓辺のテーブルに座った。客は私一人だけだった。はたせるかな、新酒のワインを飲ませるという。ワインを注文してから、ぼんやりと視線を外になげた。広場にはまだツアー客が数人のこっている。薄日がさしはじめていた。ブドウ畑が光をうけて、にぶくかがやいていた。 その前の日、私はメルセデス・ベンツ博物館にいた。館内には歴代の乗用車、レーシングカー、はては航空機用エンジンまでが展示され、コースに従えばそのままメルセデス百十年の足取りがわかるようになっている。骨組みにエンジンを取り付けただけのような初期の車、華やかだがいかつい守衛を思わせる。今世紀初頭のモデル、機能美を追求しはじめる。五十年代のタイプと見ていくと、人々が「この<移動手段>になにを求めたのか」が自然に見えてくる。もちろん、時代の色も浮かびあがる。
|
 |
―5― |
について深い知識もないままかってな印象だけでいうのだが、いつの時代も、自動車の製造には二つの方向性があるように思える。つまり「実用と移動の手段」という機能の重視が一方にあり、それに加えて「個性とスタイルで、自他の違いを表現する手段」が他方にあるのではなかろうか。この両極が最初に、明快に、競争という形で衝突したのも、アメリカだった。ひろく知られているように、自動車の価格を驚異的にひきさげ、庶民のものにしたのは、アメリカのヘンリー・フォードだった。一九十三年(大正二年)「フォード・システム」とよばれる独特の組立方式で「T型フォード」を大量に生みだし、ふんだんに供給した。ポリシーは「子供でも運転でき、悪路もへっちゃら、素人でも修理できる」に置かれた。「実用と移動の手段」であることのみが重視されたのである。
|
ところがフォードのライバル会社GM(ジェネラルモーターズ)は、豊かな社会を背景に「様々なタイプを提供する。選択は買い手にゆだねる」というフルライン・ポリシーをとった。これは「質実、堅牢」をよしとするフォードの車造りのコンセプトを、根こそぎひっくり返す考え方だッた。T型フォードは競争に敗れ、生産中止となった。その後二つの世界大戦をはさんで、アメリカはフルラインシステムを基点に「ステータスシンボルとしての大型車」で世界をリードしていく。しかし、アメリカ的なモータリゼーションも、ほどなく衰退の道を歩きはじめる。車社会が成熟していくにつれ、新しい問題が生まれてきたからである。騒音、振動、排気ガス、省エネルギーが問題となった。積極的に取り組んだのが、八十年代の日本車だった。日本車は生産台数で世界一になるが、同時に貿易摩擦の火だねを生んだ。いっぽう、廃車の処理、交通事故、交通網の整備など「社会の負担するコスト」も深刻な問題になった。車は「実用と個性」を両枠としながら、たえず技術革新を求められるだけでなく、未来永劫、積極的に社会問題とかかわらざるをえなくなってきたようだ。
|
 |
―6― |

物館の見学にはかわいい同行者がいた。メルセデス・ベンツ社の統計局に勤務しているリザさんという若いお嬢さんで、「三年間つとめてるけど、博物館ははじめて」と鳶色の瞳をキラキラかがやかせながら歩いている。宮内庁が昭和天皇の御料車として購入した「770・グロッサー・メルセデス」の前では説明文に声をあげて喜び、「第二次世界大戦の空の戦いは、エンジンの戦いだった。ドイツはダイムラー・ベンツ、英国はロールスロイス、日本は三菱」とドイツ戦闘機に搭載されたエンジンに説明をつけ加えると「フゥン」と鼻を鳴らして感心したりはするが、興味はやはりスポーツカーの300SLや流麗な230SLタイプに向いてしまう。世代の違いとしかいいようがない。
|
二時間ほど見て廻り、一階フロアーのカフェで休憩することにした。コーヒーを飲みながら雑談をしているうちに、話題はごく自然にメルセデスに向かった。「ざっと見てきたけど、メルセデスはこの百年間、終始一貫メルセデスとしての個性を際だたせることに、意を注いできたようだね」「メルセデスには創業以来の社是があるの。<最高のものを造れ。さもなければ、なにも造るな>って」「まさにドイツ的マイスター精神だな」「でもそれがあったからこそ<事故調査チーム>を三十年も前に発足させたし、そのデータの積み上げのおかげで、安全対策のメカニズムでメルセデスは優位に立ってるわ。低公害エンジンの開発、資源のリサイクル、すべて<最善か、無か>からの発想よ」声がすこしムキになっている。リザさんは、なかなか愛社精神が強いようだ。「でもそれが、メルセデスは一番でライバルはいない。車のことなら客よりよく知っている。そんな思い上がりにつながった‥‥‥。ぼくの言葉じゃないよ。おたくの重役がセミナーで述べた言葉だけど」「だからいま改革が進められてるんじゃない。Aクラスなどの新型車も投入されるし 確かにAクラスは、メルセデスのイメージを百八十度かえるだろう。車体の長さは三・六メートルしかないのに、乗員五人とその荷物が積みこめ、上下二つに分かれた「サンドイッチ」と呼ばれる画期的な構造は、エンジン、トランスミッション駆動系の補助装置すべて下部に内包する。若者向き、スポーツ用などの多様な目的だけではなく、将来予想される都市部での交通混雑、駐車場確保のむつかしさまで視野に入れた設計だといわれている。日本には来年登場する。」
「結局、マーケットが広がるにつれ新しい問題が次々に生まれてきた。メルセデスとてすべての条件を満たすことを要求されるようになった。自動車造りのむつかしいところだね」「でも性能と品質に関する限り、メルセデスはメルセデスであり続けると思うわ」リザさんはそういって若々しく微笑んだ。
|
 |
―7― |
西ドイツの統一は八年前だった。社会主義の崩壊でソビエト連邦はロシアになり、香港は九十九年の租借期間が過ぎて、七月に英国から中国に返還される。二十世紀も、激変をかさねながら四年後には終わる。大波のうねりのような変化をうけて、市場のニーズも競争の条件も変わっていく。うねりは流れとなり、流れは奔流となって、すべてはもっとも自然な方向に進む。合理性といってもいい。
それは、だれしもが判っていることだ。違いがでるのは「変化に対応するか否か」という柔軟な姿勢だろう。メルセデス・ベンツ社も時代の波にのって変化していく。
居酒屋の中は、依然としてしずけさに満ちていた。ワインの酔いが、ほんのり霧のように体内にたちこめる。腕時計を見ると、まだ三十分ほどしか過ぎていない。空はまた光を失っていた。SLKの撮影は、つづいている。もう一杯、ヴュルテンベルガー・ワインを飲んでもいいだろう。
|
|
|