結婚相談所 東京

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 もともとワーク・シェアリングの思考の背骨を成しているのは、キリスト教社会がいい意味でもっている「博愛主義」ではないのか、と私は思います。「この博愛主義を我々は持っているのだろうか?」という疑問は、私がこの国で生活していて常に思うことです。

 

 ナニワ節では「弱きを助け、強きをくじく」のが侠客なのですが、実体はその逆で「強きを助け、弱きをくじく」のを常とします。「人間の社会なら、どこでもそうではないか」という反論もあります。

 それはそれで正しいのですが、大陸国家では人種や思想が多種多様ですから自ずからAに対してはZといったように制御装置(ブレーキ)が自動的に働きますが、どうも日本では「お上のお達しだから、仕方がない」とうところまで追い詰められないと、人々は腰をあげないようです。

 

 これはある意味では強権国家のシステムであり、とても民主国家のやり方とは思えません。裏でヒソヒソ文句は言うのですが、表に立っては何も言わず(あるいは言えず)、かつ率先してことに臨もうともしないのは、残念ながら国民性とでも言うものなのでしょうか。
 「己れを試すために、自ら進んでリスクを掴む」という真摯な決意を、我々はいつのころから見失ったのだろうかと、このごろ思うことしきりです。

 そう言えば、ドイツの登山家の言葉に(〜私は若い頃、登山もしていました〜)「若者が冒険する心を失った民族は衰える」というのがあったのを、この文をしたためていながら、いま思い出しました。

 


 さて。アフガニスタンのタリバンについてお尋ねがありましたので、2,3思うところについて申し述べます。


 まず、ウサマ・ビンラディンに「なぜ『氏』をつけるのか」という点について。
 日本では一般的に、「裁判で訴追をうけ、犯罪者として確定した場合にのみ」、『尊称をつけない呼び捨て』で報道されることになっています。

 ただしこれも、あくまでも一般的な慣例であって、確定されているものではありません。新聞社などでは『内規(その会社の内部だけの取決め』によって尊称を付けたり付けなかったりします。

 

 ウサマ・ビンラディンの場合、ワシントンポストもニューヨークタイムスも総て「尊称ぬき」でウサマ・ビンラディンと書いていますが、同時にパウエル国務長官もブッシュ大統領も、記事の中では一切「尊称ぬき」で呼ばれています。

  あなたのお尋ねが興味深かったので、NHKにも問い合わせてみました。NHKから受けた説明もおおよそ上記のとおりでしたが、「線引きがきわめてアイマイ」とNHKも認めていました(極めて日本的ですよネ)。
 私とNHKのやりとりは、さらに公開された(ビンラディンの)ビデオのことに及び、「アメリカは(タリバンの拠点で発見されたという)ビデオを各国に公開して、そのことによって、ウサマ・ビンラディンが犯人だと説明をしているが」と一歩踏み込んで尋ねたところ、「政府説明は確かにあった。

 

 しかしそれは、アメリカの一方的なビデオ公開による説明であり、ビデオそのものの客観性には疑問があると指摘されている〜つまりアメリカがでっちあげたものではないかという疑問点が解決されていない〜従ってまだ『容疑者の段階』である〜故にNHKとしては『氏』という尊称をつけて報道している」という説明でした。

 タリバンの指導者オマル師については、「宗教的指導者なので『師』を冠している」との答えです。職業がある場合には、その職業名をつけます。

 つまりビンラディンが医師だとすれば、表現乃至記述は『ビンラディン医師』となります。


 タリバン支配のアフガニスタンの国家体制については、「言語道断だ」と私は思っています。

 ご指摘のように安直なタリバン同調論が日本にはありました。「アメリカ絶対悪」の論理がまかりとうるのは、「アメリカを批判する分には、シッペ返しを受けない」という甘えた姿勢があるからなのではないでしょうか。

 「武器で人民を支配する国は国家とはいえない」と私は思います。ましてや「女性に教育は必要ない」などというのは、それ自体現代の国家として、国家の体をなしていません。(私は『フェミニストではない』と<日本のキャリアウーマン達から>罵られることがあるのですが、おかしいと思うことは、どのような場所でも『おかしい』と発言するように努めています)。

 

 ブルカ(顔を覆うベール)の着用を女性に強制するのも、男に髭を強制するのも宗教的強制であり、よし「それが伝統だ」と強弁したとしても、民意を反映しているとはとても思えず、事実タリバン支配が終焉したとたんに男たちはいっせいに髭を剃り、女性はサッサと社会に復帰しました。

 

 それより、タリバンが支配していたアフガニスタンがまず学ばねばならないのは、「武器をもった相手は、民衆から自由を奪うことができ、人民を支配することができる」という古今東西の歴史が証明している単純な事実だと思います(例えば、北朝鮮の場合)。

 これは歴史が「古い、新しい」「進んでいる、遅れている」の問題ではなく、いつの時代にもおこりうる事実であり、問題です。ナチス支配のドイツの13年間だって、そうであったといっても言い過ぎではないでしょう。



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2009.1.10

 

文章講座 「樫の木会」
新ウェブサイト公開。

 

作家 「谷克二の気の向くままに」新ウェブサイト公開。

 

 

2009.1.6

 

ホームページ企画・制作事業

いよいよ始動。

 

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